営業所や支社は、太陽生命の営業活動を支える最前線。 同じ志を持つ仲間たちが集う拠点です。 ここにご紹介するのは新規営業所立ち上げのプロジェクト。 ゼロから始まる、熱い挑戦の物語です。

興奮と不安、そして大きな夢を胸に

冬晴れの朝、白い息を吐きながら営業職員が相模原営業所に出勤してきた。
「おはようございます! よろしくお願いします」
ドアが開き、声が響く。
興奮と不安が入り交じって前夜ほとんど眠れなかった金子と滝澤は、その瞬間、感極まってあふれる涙を抑えることができなかった。
滝澤が「入社して最もきつい2ヵ月だった」と振り返る準備期間を経て、平成25年12月2日、相模原営業所がオープン。
4人の新人営業職員を前に所長の金子は、「やっと船出できました。輝く女性であふれる職場にしていきましょう」と最初の朝礼を行った。
12月の風は冷たかったが、昇る太陽は新しい門出を祝福するように輝いていた。
話は9月にさかのぼる。
三重県の津支社で支社長をしていた金子が外出から戻って目にしたのは、デスク上の1枚のメモ。「本社人事部から電話あり」とのことだった。
折り返し電話をすると、それは異動の内示で、なんとゼロから新しく営業所を立ち上げるように、というものだった。
「驚きました。同時に、面白いじゃないか、やってやろうと思いましたね」(金子)
その思いは滝澤も同じだった。
「総合職約1,300人の中で、営業所の立ち上げに携われるとはなんてラッキーなんだろうと思いました。絶対に成功させてやると決めました」(滝澤)
営業職員2人がコンビを組んで家庭市場を新規開拓する手法を、太陽生命では「コンビ飛込」と呼んでいる。この手法を太陽生命にとって未開の市場である相模原で展開するために営業所を立ち上げよという命令が、金子と滝澤に下されたのだ。
10月1日付けで異動となった2人は、橋本駅前のビルの一室に足を運ぶ。机もない空っぽのこの部屋が、会社から用意された相模原営業所だった。
「本社の営業部と相談しながら、ここを拠点に営業所をつくりあげていくわけです。2人でゼロから自由にやっていいということで、絶対に成功させてやろうと燃えましたね」(金子)
その夜、2人は居酒屋で乾杯する。
「飲みながら、こんな店にしたいと夢を語り合いました。そして、絶対に日本一の営業所にしようと2人で誓いました」(滝澤)

時間との闘いの中で、言葉を尽くし、思いを託す

相模原営業所のオープン予定は12月2日。その日を目指して、金子と滝澤の奮闘が始まった。
一番の仕事は、営業職員の採用である。「それによって営業所の成否の9割以上が決まる」(金子)という重要な仕事だ。
ただし決して簡単なことではない。通常ならば既に勤務している営業職員のネットワークを通じての声かけが中心となるが、新しい営業所立ち上げゆえにそのルートはゼロ。金子と滝澤が自ら声をかけ、採用を行わなくてはならないのだ。
では、どうするか。路上での声かけと、住宅地での飛び込み訪問の2本立てである。
2人とも相模原に土地勘はなく、その中で連日、声かけと飛び込みを続けていった。
「場所を変え、時間帯を変え、言葉を変えて、声をかけ続けました。ベビーカーを押しているお母さんがいたら、“子育てとの両立がしやすい職場ですよ”とアプローチしたり。様々に工夫を重ねました」(滝澤)
もちろん、仕事を探しているかどうかもわからない相手に声をかけるのだから、確率は非常に低い。30人声をかけて、足を止めて話を聞いてくれるのは1人いるかどうか。そのうち営業所まで詳しい説明を聞きに来てくれる人となると、100人に1人いるかどうかといったところだ。
しかも、肝心の営業所がまだ整っていない。
応接室だけは大慌てで用意したものの、その他の備品はまだそろっていなくて、見方によっては本当にここが会社かどうかもわからないような状態だった。
「相当怪しかったと思いますがね」と今だからこそ金子は笑って話せるが、当時はまさに徒手空拳での勧誘活動だったのだ。
既に勤務している営業職員がいるならば、仕事のやりがいや収入などについてリアルに説明できる。だが、それができないため、滝澤は「とにかく僕を信じて欲しい。絶対に後悔させるようなことはしないし、全部任せて欲しい」と言葉を尽くす以外になかった。
文字通り、自分という人間そのものを信じてもらうしかないという状況での採用活動だった。
だが、時間ばかりが過ぎていく中で、なかなか採用には至らない。焦りを募らせる2人を支えたのは、上司である地区営業本部長(当時)の「お前らやったら絶対にできると信じている」「お前らが会社の未来を作るんや」という言葉と、ライバルである行徳営業所の存在だった。
そして10月半ば。
オープンまであと2週間というタイミングでようやく最初の1人の採用が決まったのである。
「嬉しいというよりホッとしましたね」(金子)
これほどの思いで臨んだ採用活動だ。決心してくれた4人の営業職員は、まさに同じ船に乗り込んで運命を供にしてくれることを決めたクルー。
オープンの12月2日の朝、彼女たちの姿を目にした2人が胸を熱くしたのも、ごく自然なことだった。

仲間たちへの熱い思いを胸に、挑戦はさらに続いていく

こうして12月2日は「一生忘れられない日」(滝澤)となった。
だが、それはスタート。本当の闘いはこの日から始まった。
4人の営業職員は、経験も知識もゼロ。昨日までごく普通の主婦だった人たちだ。その彼女たちを、金子と滝澤はプロの営業職員へと育て上げていかなくてはならない。
それまで金子も滝澤も、S.I.(セールス・インストラクター)として十分な経験を積んでおり、教育・育成には自信を持っている。だが相模原営業所には、営業職員のリーダー格である支部長はいない。ゼロからすべて金子と滝澤が直接指導しなくてはならないのだ。
「とてつもない責任の重さを感じましたし、その分、4人に対する思い入れも非常に深かったです。何もわからない状況で私の言葉を信じて“頑張ります”と入社してくれた営業職員に対して、誠心誠意、接していきました」(滝澤)
同行を繰り返し、営業所に帰ってからは振り返りやロールプレイを行って、翌日、再び同行する。そしてオープンから一週間後、早くも1人の営業職員が契約を取ることができた。それは、彼女にとって人生で初めての契約であると同時に、相模原営業所にとっても第一号の契約となった。そして、そんな彼女の姿は、他の営業職員に「私だってできるはず」という自信を与えてくれた。
やがて「私にできるかしら」と半信半疑で仕事を始めた営業職員が自分の力で道を開き「仕事が楽しい」と笑顔で話すようになり、「この会社に入ってよかった。誘ってくれてありがとうございます」と、感謝の言葉を口にするようになった。その一言は、滝澤にとって何よりも大きな喜びだった。
当時を振り返って2人は、相模原営業所の立ち上げについて「100点だった」と胸を張る。
「オープン1周年の平成26年12月2日、営業所長と2人でいつもの居酒屋に行きました。いろんなことがあったけれど、あっという間だったこの1年を振り返って、本当に感慨深かったです」(滝澤)
今、相模原営業所は、営業職員22名、内務員4名にまで陣容を拡大した。船出は成功し、大きく帆を張って大海を順調に進んでいる。もちろんまだまだ発展途上。今後陣容を拡大し、さらに発展させていかなくてはならない。
そして、いずれ2人とも異動を迎え、次の営業所長、S.I.にバトンタッチすることになるだろう。営業拠点はこうして誕生し、受け継がれてゆき、そしてこれからの太陽生命を支えていくことになる。
「準備中は辛くて辛くて、二度と営業所の立ち上げはやりたくないと思いましたが、今はまた挑戦したいと考えています」(金子)
「私も同じですね。新しい営業所を立ち上げるという仕事は、会社の未来をつくることに貢献できる仕事なんです。この醍醐味を、ぜひまた味わってみたいと思います」(滝澤)